阪神大震災の記録(全22ページ, PDF, 80.2KB)[1]
1995年1月17日朝5:46の地震発生から約1週間にかけて、被災地で何が起きたのか。そして、次に震災が起きるときまでに、わたしたちに何ができるのか、を伝える貴重な資料です。
阪神大震災の記録(抜粋)
(1)耐震強度の足りない住宅が倒壊し、16万4000人の人が生き埋め(倒壊した建物の下じき)となりました。倒壊した木造住宅の多くは、1階がつぶれました。
(2)家賃の安い粗末なアパートに住んでいた多くの若者も亡くなりました。
(3)生き埋めになった方々のうち、3万5000人が、自力で脱出できない状態になりました。
(4)あまりにも大勢のけが人、生き埋め者が出たために、消防、警察、自衛隊ではとても救助しきれない状態でした。
(5)救助されて助かった人のうち、約80%は近所の住民に救助されました。
(6)地震による被害のために、水も電気も止まりました。
(7)あまり知られていませんが、病院には大量の水と電気が必要です。
(8)ひどいけがをした人や、重症の入院患者を、被害の少ない病院に運ぶ必要がありました。
(9)被害の少ない病院がどこなのか、だれも知りませんでした。
(10)道路は、ふだんでは考えられないような渋滞になりました。信号も停電で止まりました。
(11)生き埋めとなった人がどこに埋まっているのか、見つけるのはとても難しいことでした。
(12)ユンボ、チェーンソー、クレーン、バールなど使えるものは全て、救助に使われました。
(13)生き埋めになった人(倒壊した建物の下じきになっている人)を、素手で救出しなければならない場合も多くありました。素手での救出では、資機材を使用した場合と比べて、救出に何倍もの時間が必要でした。
この文書の情報源
1. 阪神大震災の記録
運輸省(現国土交通省)からの委託により民間の研究機関が作成したものです。批判もありますが、読むに値する記録だと、hahatoko は思います。
2011年11月現在、作成元または国土交通省で公開しているかどうか不明です。ご存じの方いらっしゃいましたら、ご一報ねがいます。
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