2011年11月23日水曜日

阪神淡路大震災の教訓

阪神大震災の記録(全22ページ, PDF, 80.2KB)[1]
1995年1月17日朝5:46の地震発生から約1週間にかけて、被災地で何が起きたのか。そして、次に震災が起きるときまでに、わたしたちに何ができるのか、を伝える貴重な資料です。



阪神大震災の記録(抜粋)

(1)耐震強度の足りない住宅が倒壊し、16万4000人の人が生き埋め(倒壊した建物の下じき)となりました。倒壊した木造住宅の多くは、1階がつぶれました。

(2)家賃の安い粗末なアパートに住んでいた多くの若者も亡くなりました。

(3)生き埋めになった方々のうち、3万5000人が、自力で脱出できない状態になりました。

(4)あまりにも大勢のけが人、生き埋め者が出たために、消防、警察、自衛隊ではとても救助しきれない状態でした。

(5)救助されて助かった人のうち、約80%は近所の住民に救助されました。

(6)地震による被害のために、水も電気も止まりました。

(7)あまり知られていませんが、病院には大量の水と電気が必要です。

(8)ひどいけがをした人や、重症の入院患者を、被害の少ない病院に運ぶ必要がありました。

(9)被害の少ない病院がどこなのか、だれも知りませんでした。

(10)道路は、ふだんでは考えられないような渋滞になりました。信号も停電で止まりました。

(11)生き埋めとなった人がどこに埋まっているのか、見つけるのはとても難しいことでした。

(12)ユンボ、チェーンソー、クレーン、バールなど使えるものは全て、救助に使われました。
(13)生き埋めになった人(倒壊した建物の下じきになっている人)を、素手で救出しなければならない場合も多くありました。素手での救出では、資機材を使用した場合と比べて、救出に何倍もの時間が必要でした。



この文書の情報源

1. 阪神大震災の記録
運輸省(現国土交通省)からの委託により民間の研究機関が作成したものです。批判もありますが、読むに値する記録だと、hahatoko は思います。

2011年11月現在、作成元または国土交通省で公開しているかどうか不明です。ご存じの方いらっしゃいましたら、ご一報ねがいます。



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